
本名、梶野正義。
新潟で生まれ育ち、札幌で柔道教師として柔道場を開いた後、東京へ移り、骨つぎと柔道教師をしながら小説を書き始める。昭和二十二年度大衆文芸受賞作品「鰊漁場」 (後に「ジャコ万と鉄」の名で映画化)のほか、「ジルバの鉄」「水兵物語」などの諸作がある。
小説

| 1948 | ジャコ万と鉄 | 寳文館 |
|---|---|---|
| 1948 | 海の怪獣 | 春江堂 |
| 1949 | 黒潮にいどむ少年漁夫 | 泰光堂 |
| 1949 | 幽霊船 | 偕成社 |
| 1951 | ジャコ万と鉄 | 新小説社 |
| 1951 | 坊ちやん教師 | 新小説社 |
| 1955 | 鯨の町 | |
| 1957 | 水兵物語 | 講談社 |
| 1958 | 港の野郎ども | 同人社 |
| 1958 | 北海の竜虎 | 桃源社 |
| 1958 | 花の旋風 | 同人社 |
| 1958 | 講道館の小天狗 | 同人社 |
| 1958 | 最低野郎 | 和同出版社 |
| 1959 | 美人島征服 | 桃源社 |
| 1962 | 鷲は見ていた | 青樹社 |
| 1975 | 吾一の一ばん銛 | 講談社 |
映画(原作)

| 1949 | ジャコ万と鉄 監督: 谷口千吉 (公式長編記録映画 日本万国博) 製作: 田中友幸(ゴジラシリーズ) 脚本: 黒澤明(世界の黒澤!) 音楽: 伊福部昭(ゴジラシリーズ) 出演: 三船敏郎 月形龍之介 |
東宝 |
|---|---|---|
| 1948 | 海の怪獣 | 松竹 |
| 1951 | 飛騨の小天狗 | 大映 |
| 1952 | 港へ来た男 | 東宝 |
| 1952 | 彼を殺すな | 松竹 |
| 1954 | 東尋坊の鬼 | 東宝 |
| 1957 | フランキー・ブーチャンのあゝ軍艦旗 | 日活 |
| 1957 | フランキー・ブーチャンのあゝ軍艦旗 女護が島奮戦記 |
日活 |
| 1958 | フランキー・ブーチャンの 殴り込み落下傘部隊 |
日活 |
| 1964 | ジャコ萬と鉄 | 東映 |
私のお父さんである梶野春夫に、おじいちゃんとの思い出を語ってもらいました。
- 幼かったときの家の様子を聞かせてください。
- 兄弟が8人いてね。親父は昼夜を問わず二階で仕事をしていて、我々は一階の部屋で生活していたよ。戦争中のことだから、親父も相当苦労したみたいだね。でも、結構楽しかったっていう記憶が残っているよ。
月に一度は、下の部屋に弟子が15人ほど集まって、お互いに文学論を語り合いながら飲んでいたね。 - 有名になる前はどんな感じでしたか?
- その時は弟子じゃなくて、仲間が集まっていたね。文士、小説家の仲間があちこちにいて、お互いに原稿を見せ合っていたけど、そのうちに売れてくる人もいれば、ずっと売れない人もいたし、その中で親父は生き残ることができたんだろうね。そのとき「股旅物」を書いた長谷川伸という作家の弟子になったというのが大きかったんじゃないかな。一緒に弟子になったのが、山岡荘八とか村上元三、土師誠二、山田克郎だったんだけど、みんな戦後生き残って、作家として売れたよね。

- 多くの作品の中で映画化された作品は?
- まずは「ジルバの鉄」、これは俺が海軍から帰って、九十九里浜の現場で起こった事件を書いたんだけど、それを親父が書き直したものなんだよ。それで映画になるときに、梶野さんの息子さん主演でいきましょうという話になって、面白いからやりましょうって言ったんだけど、ちょうどそのころ、戦友と一緒に新しい仕事を立ち上げようとしていたときだったから、結局辞めたんだよね。
あとは、「飛騨の小天狗」。親父が柔道部の教師をしていたころのことを題材にして書いたものなんだよ。菅原謙二が主演で、なかなか面白い映画だった。 - 映画「ジャコ萬と鉄」は、脚本が黒澤明さんで、主演が谷口千吉さんですし、1964年のリメイク版では高倉健さんが主演で、丹波哲郎さんも出演していますね。
- 原作は「鰊漁場」という作品で、大衆文学賞を取ったんだよ。そういえば、丹波哲郎は戦時中には陸軍の航空隊に所属していたんだけど、戦後、俺が所属していた海軍の戦友が集まる会に、話しをしに来てくれたことがあったな。
- 海を題材にした作品が多いですが、ご自身の体験をもとにしたものが多かったんでしょうか?
- 海軍に行っていたから、そのときの経験を書いていたんだろうね。 「鰊漁場」のときは、実際に海に行って船に乗ったりしていたよ。「港へ来た男」とか「鯨の町」という焼津を舞台にした作品もあったしね。とにかく海が好きだったよ親父は。
- 「吾一のいちばん銛」のような童話も書かれていますね。
確か孫のために書いたんじゃなかったかな。
めずらしいのは、名前を悳三ではなく、本名の正義で書いているってことだね。- 趣味は何だったのでしょうか?
- 釣りかな。俺は一回か二回ぐらい潮来に連れて行かれたけど、作家仲間と釣りをしたり、碁を打ったりして、ストレスを発散していたね。
- 作品がヒットしたあと、何か変化はありましたか?
- 親父自身は何も変わらなかったよ。夜も昼もなく、ただ黙々と書いていて、眠くなったら寝る。
起きたら酒を飲む、そして書く、弟子が来る、というような感じで普通の人とは生活パターンが全く違っていて、 完全に自由人だったよ。撮影現場に足を運ぶこともなかったし、とにかく作家だけに徹していて、静かな人だったね。
インタビュー後記
今までおじいちゃんの事で こんなにお父さんと長く話したことはなかった。
戦時中の頃の思い出も交差してか、 微笑ましく話すわけではないのに、 どこかに暖かさがにじみ出てくるように語ってくれた。私が小さい頃は、ここまで凄いおじいちゃんだなんてことは 思いもしなかったが、どんどんお父さんの影響で 映画にはまり始めると同時に、おじいちゃんの凄さがわかってきた。
そりゃ、これだけ凄いおじいちゃんなんだから、 孫の私としては作品を何らかの形で残したくもなる。 このホームページで少しでもおじいちゃんのことを 知ってくれる人がいたら嬉しい限りだ。いずれはおじいちゃんの作品を監督してみたい。
小学生低学年から映画を劇場で観る楽しさを教えてくれたお父さんと、 その世界でがんばっていたおじいちゃんに感謝をしながら 映画に関わっていきたいと思った。

